こんばんは。
少し昔話をしてみたいと思います。(記憶違いがあるかもしれませんが勘弁してください)
私は小学4年生から高校3年まで、東京の保谷市(今の西東京市)に住んでいました。
最寄駅のひばりが丘駅から電車で数十分のところに西武球場がありました。小学生の頃は「西武ライオンズ友の会」に入っていて、小学生は友の会カードで、1シーズン西武球場での試合が見放題でした。外野席だけではなくて確か内野自由席までいけたような記憶があります。でも外野席の方が楽しかったですけどね。芝生席だったので(^^)
当時の打撃陣は、え~っと・・・3番スティーブ、4番田淵、5番テリー、6番太田、だったかな~。
投手陣は、東尾、松沼兄、松沼弟、高橋、杉本の先発5本柱でした。抑えに江夏がいた。たぶん(^^;)
ブルペンで投げている東尾に向かって、「トンビ~トンビ~」って言ってました(笑)。
この頃の西武は強かったですよ。(今はそうでもないけど・・・)
それから数年して、話題の清原が入団してきました。
西武黄金時代の始まりです。
1番辻、2番平野、3番秋山、4番清原、5番デストラーデ、6番石毛、これが私が覚えている最強の上位打線です。
投手陣も渡辺久、工藤・・・塩崎・・・あれ、ピッチャーが思い出せん(´・ω・`)
記憶を頼りに書いてるので、このへんが限界みたいです(笑)。
たらればを言っても仕方ないのですが、清原にはず~っと西武にいて欲しかった。そうすれば、無冠の帝王なんて呼ばれずに、タイトルも一つ二つは取っていただろうし、今頃はコーチか監督をやっていたはずです。とても残念です。
右中間へのホームランは、右打者では清原が一番でした。
(21:00)